はい、タイトルにもあるように愛媛大学を無事に卒業することが出来ました。しかも、ありがたいことに学部を首席で卒業することが出来ました。敬愛してやまない下村脩先生が、大学を首席で卒業したことを本に書いておりまして、私も目指してみた次第です。愛媛での生活は紆余曲折ありで、いろいろと思い出あるので、綴ってみたいと思います。
まず、よく聞かれるのが、なぜ名古屋出身のわたしが愛媛大学に進学したか?についてです。理由は単純で、センター試験に失敗してしまったからです。でも、後悔はしていません。むしろ、松山に来てよかったと心から思っています。私の大学生活は、コロナ禍だったり、2回も指導教員が異動になったり、いろいろ周りの環境に左右されるものでした。
大学1,2回の頃はコロナ禍で大学構内に立ち入ることが禁止されていたので、愛媛大学で研究活動をすることがかなり困難でした。それでも、今田先生(現 京大助教)がわたしをフィールドワークに誘ってくださったおかげで、細々と活動することが出来ました。3回生のころは、今田研でヘイケボタルの繁殖生態学を研究していました。広々とした恒温室3つと桐蔭学園の池谷教諭が育てたヘイケボタルを一年中使えたことが研究の着想、開始点となりました。
愛媛大学の生物学科では、3回生の後期から研究室配属をして、半年間研究したことを発表する場があります。ありがたいことに、そこで最優秀賞を受賞することも出来ました。この調子で、卒論も大学院もホタルの研究をしていこうと思った矢先、今田先生の異動の知らせが入ってきました。やがて恒温室も取り上げられてしまい、ホタルの研究を続けられる状況ではなくなってしまい、ホタル研究を放棄せざるを得なくなりました。
研究室の同期は全員、まったく違う研究を始めることになりました。わたしはホタル研究を捨てても、発光生物だけは譲ることは出来なかったので、いろんな先生のところに相談しに行って、なんとか発光生物研究を継続できないものか考えました。新しく考案したオタマボヤ研究のアイデアを持ち込み、こういう先行研究があって、ここがわかっていないから証明する必要がある、それを実現するためには、これが必要で、それには幾らかかるなど、プレゼンしました。その結果、環境毒性学が専門の岩田先生という方が、私を拾ってくれました。生化学や分子生物学をやっているラボということで、遠いながらも学内では一番近い分野でした。
学内で誰もやっていないことを貫くわけですから、常にアウェイな状況に置かれます。身近に相談する人もいませんので、肉体的にも精神的にも他の学生より確実に苦労をすることになります。教員から見ても、研究室方針と違うことをやる学生がいるのは、邪魔になります。それでも、ありがたいことに岩田先生やラボの学生は、わたしを暖かく迎えてくれて1年間自由に活動させてもらいました。誰もやっていないからこそ、わかり易く説明する力が付いたのではないかと思います。
学生のうちに突然ラボがなくなったり、大学院の入学を辞退することになったり、研究が継続できなくなったりすることは、多くの人が経験することではありません。わたしは「不遇と思われる状況においても、ブレない芯を持って努力することで必ず報われる」、ということをこの四年間で学びました。これが愛媛に来てよかったと思う理由のひとつです。この教訓は今度の人生で糧となるかも知れません。それを考えると、私の苦悩も安いものでしょう。
ホタル研究停止は残念でしたが、現在やっているオタマボヤやクラゲ研究の面白さに気づくきっかけになったのも、これまた疑いようのない事実なのです。そういう意味では、異動が転機となり研究の原動力になったとも言えます。
大学院も指導教員の異動によって、再受験せざるを得なくなりました。最初はやるせない気持ちに苛立ちを感じましたが、今は前向きに捉えることにしています。ホタル研究のときと同じように「東北大学に進学して良かった」、と振り返られる未来へのお導きなのだろうと信じています。偶然にも、下村先生も若い頃に同じような境遇にあったようです。内地留学のために名古屋大学を訪れた際、本来受け入れるはずの教員が不在で、困り果てた下村先生に対して、隣の研究室の平田先生が「私のところにいらっしゃい、いつからでも良いです。」と言ったそうです。それを聞いた下村先生は天の導きかもしれないと思って平田研に行くことにしたようです。そこで下村先生は発光生物に出会い、ライフワークとしてノーベル賞にまで登りつめました。
当時はネガティブに思えることでも、思わぬところから好機に繋がることもあるのです。その逆も言えると思いますが、大事なのは目まぐるしく変わる状況に対して、一喜一憂せずにドンと構えることなのでしょう(それもそう簡単に出来たら苦労しないんですが。。)。
お読みいただきありがとうございました。
【新たな所属先について】
2024年の春〜秋まで、わたしは中部大学の大場研究室で、共同研究員として研究を続けます。研究が継続できる、そんなあたりまえと思えることも日々感謝して過ごしていきたいですね。2024年の10月には仙台に引っ越し、別所先生のもとで大学院生になる予定です。
最後に研究室の皆さんから温かい言葉を頂いて、思わず涙が零れ落ちそうになりました。辛いとき、挫けそうなときは見返したいと思います。
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