モーリッシュの樹
- Kanchi
- 2月14日
- 読了時間: 3分
仙台にきてはや4ヶ月が過ぎました。ぼちぼちいろんなところに車を走らせて仙台ライフを満喫していますが、これまで経験したことのない寒さに気が滅入っています。来たばかりのころは東北大生である自覚はあまりなく、母校愛なんてものはかけらもありませんでしたが、最近は徐々に芽生えつつあります。
そのきっかけとなったのは東北大学附属浅虫臨海センターに行ったことでした(その時の話はここから)。浅虫で私は畑井新喜司という大動物学者が臨海の所長であったことを思い出しました。発光生物学者との関わりで名前こそは知っていたものの、どんな人であったのか具体的にどんな研究をしていたのかはほとんど知りませんでした。浅虫から帰ってから大学図書館で『畑井新喜司の生涯―日本近代生物学のパイオニア』という一冊の本を見つけたので読んでみることにしました。
畑井先生が幼少期からミミズが大好きであったこと、渡米に至った経緯、浅虫に臨海研究所を作ったわけなどいろんなことが書いてあり勉強になりました(学生はぜひ読んでほしい)。畑井先生は中学校や高校の校長・理事長も務めるなど研究者であると同時に優れた教育者でもあったようです。アメリカの大学にいたころ、東北大学から動物学教室の教授として声がかかり、帰国することになりました。帰国ついでにオーストリアに寄り、著名であった植物学者ハンス・モーリッシュのもとを訪れ、植物学教室の初代教授にならないかと提案しました。モーリッシュは了承し、当時の東北大学総長よりも高給で教鞭をとることになりました。なお、モーリッシュは日本に滞在した2年間毎日欠かさず日記をつけ、『植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記』という本にまとめています(西洋人から見た大正時代の日本の自然、日本人の生活、人生観、宗教観などが詳細に記録されているので、多くの人にとって興味深い内容だと思います)。
約100年前に畑井とモーリッシュという世界的な生物学者2人がここ仙台に生物学科を開講し、現在に至るというわけです。この2冊を読み終わり過去を知った頃には、私は東北大生であることがとても誇らしく思うようになりました。当時の生物学教室はまだ残っているので、居ても立ってもいられなり写真を撮りに行きました。現在は放送大学として使われているようです。現在、生物学科をはじめ理学部は町中の片平キャンパスを離れて青葉山キャンパスに移動してしまいました。この歴史ある建物が位置するキャンパスで過ごせないのは残念ですが、モーリッシュは青葉山に関して、こんな言葉を残しています。
「広瀬川のほとりをめぐり、青葉山に登れば、一生かかっても研究しつくせないほどの資料が山積している」

日本を大いに満喫し、任期を終えたモーリッシュは1925年に東北大学を去りました。その年の2月にモーリッシュが植えた松の木が東北大学片平キャンパスにはまだ残っていました。

この樹を見て興奮できるのはきっと僕だけでしょう。ほとんど誰も通らないような薄暗い道に寂しそうにポツリとありました。もはや生物学徒はこのキャンパスにいないのです。この樹を見に行った2025年2月はモーリッシュが去ってちょうど100年後でした。実はモーリッシュは仙台で発光バクテリアの研究もしていました。目を細め、想いを馳せると発光バクテリアのランプを作るモーリッシュが見えてきます。これも僕だけにできることで、誰にも共感してもらえないことでしょう。
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